銀座や浅草で有名な老舗百貨店「松屋」は横浜発祥って本当?(前編)
ココがキニナル!
銀座の松屋が昔、石川町付近にあったらしいのですが面影は?(yokkoさん)松屋が、単に伊勢佐木町にも有ったし戦前吉田橋のたもとにあったが位置関係がわからない(ushinさん)
はまれぽ調査結果!
現在の松屋の原点は、1869(明治2)年に石川町地蔵坂下に創業した鶴屋呉服店である。現在面影はなく、鶴から獅子へと変わりマンションになっている
ライター:永田 ミナミ
松屋と鶴屋
今日「百貨店の松屋」と聞いたら多くの人が「ああ、あの銀座の」とか「ああ、あの浅草の」と答えるだろう。それくらい銀座と浅草において街の象徴となっている百貨店だが、その創業は横浜だという。
2013(平成25)年にグランドリニューアルした松屋銀座(提供:株式会社松屋)
2012(平成24)年に1931(昭和6)年創業時の外観にリニューアルした松屋浅草(提供:株式会社松屋)
横浜の松屋といえば、伊勢佐木町にあった松屋を思い出す人も少なくないだろう。1976(昭和51)年の閉店後は横浜松坂屋の西館となり、現在はJRAの場外馬券場となっている建物である。
重厚なつくりの建物が往時を偲ばせる
しかし、投稿は「石川町付近にあったらしい」「創業時からの店が戦前吉田橋たもとにあった」とそれぞれ伊勢佐木町とは少し違う場所をあげている。
これに関しては、松屋ウェブサイトの沿革を見ると「1869年 初代古屋徳兵衛横浜石川町に鶴屋呉服店を創業(11月3日)」とあるので石川町で創業したこと、さらに当初は「松屋」ではなく「鶴屋」という名の呉服店だったことが分かる。
そしてこの「鶴屋」という名前をもとに資料を探してみると、1909(明治42)年に雑誌『実業之横浜』の第6巻第1号に寄せられた「我鶴屋呉服店は如何に顧客の満足を買ふに苦心しつゝあるか」という記事の冒頭に「我が鶴屋呉服店は、市としては比較的辺鄙である亀ノ橋に創業して以来、茲(ここ)に四十余年」とあるのを見つけた。
さらに同誌に「横濱龜之橋つるや呉服店」という広告も発見(提供:横浜市中央図書館)
亀の橋を渡って
さて「松屋」から「鶴屋」そして「亀の橋」という縁起のいい名前をたどっていくうちに「鶴屋呉服店」があった付近に導かれていった。
現在の亀の橋と同じ橋ならそれは地蔵坂下で中村川に架かる橋である
そこで、今度は「地蔵坂」というキーワードで探してみると写真絵葉書がいくつか見つかった。それらを1枚1枚拡大しながら、どこかに「鶴屋」の文字がないかと探していると、拡大するまでもなく「鶴屋」の文字が読める写真絵葉書が見つかった。
横浜石川地蔵坂鶴屋 Jizozaka, Yokohama(提供:横浜市中央図書館)※クリックで拡大
右手前に見えている建物から伸びた垂れ幕に「鶴屋呉服店」の文字が確認できる。奥に見えているのは地蔵坂と考えていいだろう。というわけで亀の橋に行って、写真絵葉書と同じアングルを探してみた。
こんな感じだろうか。鶴屋呉服店はあった場所は、現在ライオンズマンションに
マンションの周囲を歩いてみたが「松屋発祥の地」といった碑のようなものは見つけられなかった。
さて、どうしたものかと振り返ると橋のすぐ横に地蔵がある
近づいてみると横の掲示板に「坂を下りた濡れ地蔵」という新聞記事があった。手入れをしていた方々が高齢となり、坂の「上り下りに苦労・・・手入れ行き届かず」ということで坂下に移転したという。なるほど、と思ったところで、その下の手描きの記憶地図に気づいた。
地図の右端に「十二年頃の地蔵坂界わい絵図」とある。新聞記事が重なっていて「十二年」の上の文字が隠れているようなので下から覗いてみると「大正十二年頃の地蔵坂界わい絵図」であることが分かった。
そしてそこにはライオンズマンションが鶴屋呉服店だったことが示されていた
ついにすべてがつながった。この「横浜石川地蔵坂」にも鶴屋呉服店が写る(横浜市中央図書館提供)
その後『実業之横浜』『大横浜』といった雑誌記事や『横浜市誌』『松屋発展史』といった資料を読み、松屋の沿革と照らし合わせある程度情報を整理した上で、松屋の広報課に問い合わせてみた。すると快く取材に協力していただけるという。
2019年に創業150周年を迎える松屋では、現在150年史の編纂(さん)準備が進められているという。というわけで編纂準備室の名倉さんと佐柳さんが待つ銀座へ。
名倉さんと1953(昭和28)年に入社された佐柳さん。貴重なお話をたくさん聞くことができた